福岡地方裁判所 昭和42年(ワ)1029号 判決 1969年7月30日
原告
田中軍次
被告
豆田清晴
ほか二名
主文
一、被告豆田、同山下は原告に対し各自金八九九、八五〇円およびこの内金七九九、八五〇円に対する昭和三九年六月一三日以降、内金一〇〇、〇〇〇円に対する昭和四四年七月三一日以降完済に至るまで年五分の金員を支払え。
二、原告の右被告らに対するその余の請求および被告会社に対する請求を棄却する。
三、訴訟費用中原告と被告会社間の分は原告の負担とし、原告と被告豆田、同山下間の分はこれを八分しその三を原告の、その余を同被告らの連帯負担とする。
四、この判決の第一項は仮りに執行することができる。
事実
(申立)
一、原告 「被告らは原告に対し各自金一、四八七、二五〇円およびこの内金一、二九二、二五〇円に対する昭和三九年六月一三日以降、内金一九五、〇〇〇円に対する昭和四四年七月三一日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言。
二、被告ら 「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決ならびに被告豆田敗訴の場合仮執行免脱宣言(同被告のみ)。
(主張)
第一請求の原因(原告)
一、事故の発生
原告は二名のものとともに昭和三九年六月一二日午後〇時一〇分ごろ被告豆田運転の小型貨物自動車(福四そ七四八一プリンス一九五九年型)に乗車して行橋市川島豊国橋北側交差点を小倉方面から犀川方面に向つて右折する際、右自動車の右前輪が路肩を踏み外し、約五メートル下の川に転落したため、右上腕骨々折、右前腕打撲ならびに挫創、左前胸部打撲の傷害を受けた。
二、被告らの責任
(一) 被告豆田の責任
右事故は被告豆田の過失によるものである。すなわち、同被告は前記交差点で右折する際、このような場合には遠心力によつて操向の自由を失い、川へ転落する危険が十分予想されるのであるから、自動車を運転する者としてはこのような事故の発生を未然に防止するため、十分に減速したうえ、ハンドルを確実に操作する注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、時速約四〇キロメートルの速度で右折しようとしたために、左側路肩から落輪しそうになり、慌ててハンドルを右に切つたのであるが、切り過ぎて右前輪が路肩を踏み外し、五メートル下の川原に転落し、本件事故となつたものである。
従つて、同被告は民法第七〇九条により本件事故から生じた損害を賠償しなければならない。
(二) 被告山下の責任
被告山下は冷暖房取付工事の請負を業としており、被告豆田を板金工として雇用していたものである。本件事故は、被告山下が被告会社から下請した冷暖房工事を施行するため、福岡県京都郡節丸の節丸小学校の工事現場へ行く途中発生したものである。
従つて、被告山下は民法第七一五条により使用者として責任がある。
(三) 被告会社の責任
1、被告会社は被告山下に冷暖房工事を下請させるにあたり、本件自動車を被告山下に使用させていたものである。
従つて、被告会社は自賠法第三条により運行供用者として責任がある。
2、仮りに、被告会社に運行供用者責任が認められないとしても、被告会社は節丸小学校の冷暖房工事を請け負い、これを被告山下に下請させ、被告豆田は被告山下の被用者として右工事に従事中本件事故を起したのである。そして、被告会社は右工事につき被告山下、同豆田を指揮監督する立場にあつた。
従つて、被告会社は民法第七一五条により使用者として責任がある。
3、仮りに、被告豆田が直接被告会社に雇用されていたものであるとすれば、本件事故は被告会社の従業員たる被告豆田が業務に従事中惹起したものである。
従つて、被告会社は民法第七一五条により使用者として責任がある。
三、原告は本件事故により次のとおり損害を蒙つた。
(一) 通院等のために要した交通費金七、〇四〇円
1、昭和三九年一〇月二三日から昭和四一年三月二八日までの間において、五五日間南川病院で通院治療を受け、同年八月二三日から昭和四二年二月二七日までの間において、二一日間吉村病院で通院治療を受けたが、その往復の交通費が一日金四〇円であるから、その合計金三、〇四〇円を支出した。
2、労働災害保険の手続のために要した交通費として金四、〇〇〇円を支出した。
(二) 休業による損失金二三五、〇一〇円
原告は本件事故による受傷のため、次の期間休業のやむなきに至つた。
イ 昭和三九年六月一三日から同年一〇月二二日まで一一二日間入院。
ロ 同年一〇月二三日から同年一二月一八日まで四七日間自宅療養。
ハ 昭和四一年四月八日から同年五月一七日まで三一日間自宅療養。
ニ 同年五月一八日から同年八月一八日まで一一〇日間入院。
ホ 同年八月一九日から同年一〇月三一日まで六二日間自宅療養。
原告の休業日数は休日を除くと合計三六二日間である。原告の当時の給料は一日金一、〇〇〇円であつたが、労働災害保険から一日金五一〇円の割合で二四九日分の休業補償金一二六、九九〇円の給付を受けたのでこれを控除した金二三五、〇一〇円が原告の休業による損失になる。
(三) 診断書作成費用金一、四〇〇円
南川病院で三通、吉村病院で四通の診断書を作成した。
(四) 付添費金四八、八〇〇円
原告は昭和三九年六月一二日から同年一〇月二二日までと昭和四一年五月二〇日から同年八月一八日までの二度にわたり入院した。その間原告の妻田中俊子、母田中ミヨノが交替で付き添つた。そのうち、昭和三九年六月一二日から同年七月一一日までと昭和四一年五月二〇日から同年六月一九日までの合計六一日間は付添必要期間であつた。付添料は一日金八〇〇円が相当である。
(五) 慰藉料金一、〇〇〇、〇〇〇円
原告は本件事故による負傷のため昭和三九年六月一二日から同年一〇月二二日までと昭和四一年五月一八日から同年八月一八日までの二度にわたる入院治療のほか、少くとも七一日間の通院治療を受けた。また、再入院の際には、上腕部に創痕約一〇センチメートルに及ぶ手術をし、現在事故前に比較すると左腕に力がはいらず、患部に疼痛を感じる状態である。
以上の次第で、本件事故により原告の受けた精神的苦痛は多大なものであり、その慰藉料として金一、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。
(六) 弁護士費用金一九五、〇〇〇円
原告は本訴を提起するについて財団法人法律扶助協会福岡支部に法律扶助を申し立て、その扶助によつて福岡県弁護士会所属弁護士野中英朗に本訴を委任した。同弁護士に対する訴訟費用および手数料合計金四五、〇〇〇円は現在同扶助協会が立替払いしているので、本訴終了後は同扶助協会に返還しなければならない。また、本訴に勝訴すれば認容額の一割五分以内の金額を報酬として支払うことになつているので、報酬金の支払には少くとも金二一〇、二一七円を要する。
従つて、弁護士費用合計金二五五、二一七円のうち金一九五、〇〇〇円を請求する。
四、よつて原告は被告らに対し各自右損害合計金一、四八七、二五〇円の賠償と、このうち金一、二九二、二五〇円に対する本件事故の翌日たる昭和三九年六月一三日以降、うち金一九五、〇〇〇円に対する本判決言渡の翌日たる昭和四四年七月二四日以降各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第二答弁(被告ら)
(一) 被告豆田
1、請求原因一の事実中原告の傷害の点は不知、その余の事実は認める。
2、同二の(一)の事実は否認する。
原告は同被告運転の本件自動車の荷台に乗車していたものである。
3、同三の(一)の事実は不知。
4、同三の(二)および(四)の事実中原告が入院したことのみ認めるが、その余の事実は争う。
5、同三の(三)、(五)、(六)の各事実はいずれも争う。
(二) 被告山下
1、請求原因一の事実は認める。
2、同二の(二)の事実は否認する。
同被告は昭和三九年四月ごろ被告会社から同社のダクト工事の人手が足りないので臨時雇として三、四人連れてきてくれとの依頼があり、原告を斡旋しただけである。被告豆田もまた被告会社の臨時工をしていた。被告山下と被告豆田とは何ら雇傭関係はない。
3、同三の事実中原告が入院し、通院して治療を受けたことは認めるが、その余の事実は争う。
(三) 被告会社
1、請求原因一の事実は認める。
2、同二の(三)の各事実は否認する。
(イ) 被告会社は、いわば被告山下に対し自動車を借りて使用できるように斡旋したものと言つても過言ではない。
(ロ) 被告会社は当時節丸小学校の換気工事を請け負つていた訴外技研冷熱株式会社からダクト工事のみを請け負い、これをさらに被告山下に請け負わせていたのである。しかも、現場における監督は右訴外会社が直接実施していたので、被告会社が被告山下およびその使用人を直接指揮監督する立場にはなかつたのである。
右のように、請負関係と指揮監督は特殊な形態をとつていたので、被告会社としては民法第七一五条による使用者責任を問われる筋合もない。
3、同三の各事実はすべて争う。
第三抗弁(被告ら)
一、運行支配の喪失(被告会社)
被告会社は下請人である被告山下から材料や機器の運搬のため自動車を貸してほしいと要請されたが、適当な自動車がなかつたので、これを断り、運搬は一般営業車に依頼するよう話したものの、被告山下の要望が強かつたので、昭和三九年六月一二日から三、四日間訴外日建工業株式会社から無償で借り受け、直ちにその期間中同被告に無償で貸与したものである。
従つて、被告会社は被告山下に貸与した自動車の運行については何ら関知せず、もちろん監督する立場にもなかつたから、自賠法第三条による運行供用者の責任を問われる筋合はない。
二、過失相殺(被告豆田および被告会社)
仮りに、被告豆田に原告主張の過失があるとしても、また被告会社に責任があるとしても、被告豆田は貨物自動車の荷台に人が乗車するのは法規違反であるうえ、極めて危険であるから、出発に際し、原告が荷台に乗車することを強く拒絶した。しかし、原告はこれを聞き入れず、強引に荷台に乗車した。事故当時運転助手席に乗車していた訴外田川茂男、同川原某は何らの傷害も蒙つていない。従つて、原告の受傷については原告自身もまた過失責任を負うべく、損害額の算定にあたつては、双方の過失により相殺がなさるべきである。
三、弁済
仮りに被告山下に責任があるとすれば、被告山下は事故発生直後原告に見舞金八、〇〇〇円とその後金一〇〇、〇〇〇円位を数回にわたつて贈つた。
第四抗弁に対する認否(原告)
一、抗弁一の事実中被告会社が借りて被告山下に使用させたことは認めるが、その余の事実は否認する。
二、二の事実中原告が本件自動車の荷台に乗車していたことは認めるが、被告豆田が原告の荷台に乗ることを拒絶したとの点は否認する。原告にも過失があるとの点は争う。
本件事故の当日、原告は被告豆田のほか訴外田川、同川原とともに被告会社の構内で、被告山下から本件自動車にチャンネルを積み込んだうえ、同車で工事現場たる節丸小学校へ行つて工事をするよう指示された。その際、被告山下は原告に本件自動車の荷台に乗つて行くように指示したのである。原告としては、そのような被告山下の指示には不服ではあつたが、運転台には運転手たる被告豆田のほか訴外人両名が乗り、原告が運転台に乗ろうとするならば、訴外人両名のうちどちらかが荷台に乗らねばならなくなり、また雇主である被告山下の指示に不満を洩して、そのため勤務を拒絶しているものと曲解されても困るという配慮もあつて、やむなく荷台に乗つたのである。
このように、原告が荷台に乗つたことについては、本件自動車の運転台に三人しか乗れないにもかかわらず、これに四人が乗車して工事現場へ行くように指示した被告山下もしくは被告会社に責任があるのであつて、原告には何ら過失はないというべきである。
三、抗弁三の見舞金等を原告が受領した事実は認める。
(証拠)〔略〕
理由
一、事故の発生
原告主張の日時場所において被告豆田運転の本件自動車が路肩を踏み外して約五メートル下の川に転落し、原告が右自動車の荷台に乗車していたことは当事者間に争いなく、原告が右上腕骨々折等の傷害を負つたことは被告山下、被告会社の認めるところであり、被告豆田関係では〔証拠略〕によつて容易に認められるところである。
二、被告豆田の責任
〔証拠略〕を綜合すると、被告豆田は本件自動車を運転して前記豊国橋を渡つた直後前示交差点を右折したのであるが、対向車も追従車もいなかつたことから、右折前にやや減速して時速約三〇キロメートル程度で右折したが、その際その速度に応じてハンドルを右にきらなかつたため、車体が完全に右方へ回転せず左前輪が道路左側の路肩にかかつたので、慌ててハンドルをさらに右にきつた結果、逆に車体が右方へ回転し過ぎて右前輪が道路右側の路肩を越えて踏み外し、そのまま下の川原へ転落した事実を認めることができ、これに反する証拠はない。この事実によれば、本件事故は被告豆田の速度の調節とハンドル操作の誤りによつて生じたものということができ、同被告の過失を肯認するに十分である。
三、被告山下の責任
原告は被告豆田が被告山下に雇傭されたと主張し、同被告は被告会社の臨時雇であつたと争うので、この点につき検討するに、それぞれ〔証拠略〕によればその主張に副う部分が見受けられるけれども、それのみをもつてそのいずれかと断定するわけにはいかず、前後の諸事情をも併せ考察すべきところ、〔証拠略〕を綜合すると、被告豆田は原告のほか田川、川原とともに本件以前からダクト工として被告山下のもとでその請け負つた冷暖房工事に従事していたが、本件節丸小学校の冷暖房工事についてもやはり被告山下に言われて従事することになり、同被告の借りてきた本件自動車に部品を積み込んで現場へ赴くよう同被告から指示されたこと、しかも、運転手がいなかつたので運転免許をもつ被告豆田がこれを行うことになつたこと、同被告を始め本件工事に従事した者は日給八〇〇円から一、二〇〇円であつたが、これは被告山下から同被告の本件以外の他の工事の分も含めて一ケ月単位でまとめて支払われてきたこと、同被告は本件工事について被告会社から一、八〇〇円と一、五〇〇円の二段階に分けた人件費の計算でまとめて支払を受けていたことを認めることができる。〔証拠略〕中右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。そうすると、右認定事実からすれば、被告豆田は被告山下に雇用されて同被告の下請工事に従事していたものというべく、直接被告会社との間に雇傭関係があつたというわけにはいかない。
そして、本件事故が被告山下の業務遂行中に生じたものであること前示事実からも明らかなので、同被告は使用者として被用者たる被告豆田の右事故から生じた損害を賠償しなければならない。
四、被告会社の責任
被告会社が本件自動車を借りてきたうえ、被告山下にその使用を許諾したことは被告会社の自陳するところであるが、〔証拠略〕を綜合すると、本件自動車は訴外日建工業株式会社の所有であること、被告会社は被告山下から本件工事のため現場まで部品人員運搬のため自動車の借用方を要請されたものの、本件当時被告会社には同被告に貸与させるには空いた自動車がなかつたので、親会社たる訴外会社から借りてきてやつたこと、それも被告山下には直接借りることのできる程の関係がなかつたからであること、同被告は前記工事のために使用するつもりで、運転担当者その他の乗員ともすべて同被告の雇傭したものばかりであつたことを認めることができる。
右事実によれば、被告会社は被告山下のために実質的には本件自動車の借用について斡旋したに過ぎないというべきであつて、この程度の関与では、その運行支配や利益の帰属が未だ被告会社に生じていないといわねばならない。ただ、本件事故が被告山下において被告会社の下請工事の遂行中に発生したものであること前示のとおりであるからといつて、この一事だけでは右認定を覆えすに足りないし、また被告会社において右自動車の損傷を修理したことも、親会社に対するものであつてみれば、必ずしも右認定の妨げとなるものではない。他に右認定を左右するに足る資料はない。
被告会社の使用者責任についても、右事実以上に両者の間に具体的な指揮監督関係の存したことを認むべき確証はない。
従つて、被告会社の責任を肯定することはできない。
なお、過失相殺については、〔証拠略〕を綜合すると、原告を始め被告豆田、田川、川原の四名のダクト工が節丸小学校の工事現場へ部品工具の運搬とともに赴くに際し、本件自動車を使用することになつたのであるが、被告山下から全員乗車するように指示され、本件自動車が運転席とその助手席には運転する者を含めて三人しか乗ることができないため、右四名のうち被告豆田が運転する以上その余の三名のうち誰か一人がどうしても荷台に乗らざるを得ない状況になつたこと、しかし、被告豆田がその点同意しかねる口吻を洩らしたものの聞き入れられず、部品工具の看守も兼ねて原告が荷台に乗つたことを認めることができる。これに反する証拠はない。
右事実によれば、原告が荷台に乗車したことは川原への転落という本件事故発生について直接の関係は何もなく、ただ原告の傷害の程度が乗車のために設備された場所に乗車した場合に比べて大きかつたといえても、前記認定のような経緯のもとでは、これを殊更強調して原告の過失ということはできないというべきである。
従つて、過失相殺の主張は採用するに由ないものである。
六、原告の損害
(一) 治療の経過
〔証拠略〕を綜合すると、原告は本件事故直後行橋市で治療を受けた翌日たる昭和三九年六月一三日から同年一〇月二二日(甲第一五号証中「一二月二二日」は「一〇月二二日」の誤記と認める。)まで南川病院に入院して治療を受け、退院後昭和四〇年三月二八日まで通院したこと、しかしその後はかばかしくなく左上腕仮関節ということで再び骨移植術を受けることになつて昭和四一年五月二〇日から同年八月一八日まで吉村病院に入院し、退院後翌四二年二月二七日までの間に二一日間通院し、同年四月ごろには、当該部に疼痛倦怠感を訴えたり肘関節部の屈伸に軽度の抑制があつて、手術創痕が約一〇センチメートルに及ぶものの、症状は固定したと診断されたことを認めることができる。
(二) 治療のための交通費
原告が南川病院および吉村病院へ通院のため福岡市内電車を利用し、往復四〇円を要したことは〔証拠略〕によつて明らかである。吉村病院へ二一回通院したこと前認定のとおりであり、南川病院へ五五日間通院したこと右認定の通院期間や症状ならびに〔証拠略〕から考えても是認できるところであるから、通院の交通費として合計金三、〇四〇円を支出したものと認められる。そして、これは原告の本件事故より生じた損害ということができる。
(三) 労災保険手続のための交通費
原告が労災保険手続のため行橋市まで往復した費用を主張するけれども、〔証拠略〕だけでは、必ずしも的確にこれを認めることは困難である。他にこれを認めるに足る確証はない。
(四) 休業による損害
原告が治療のため休業し、その間得べかりし利益を失つたことは明らかである。そして、前示治療期間のうち昭和三九年一二月一九日から昭和四〇年一二月二一日まで富士工研に勤務したこと、昭和四一年一月一日から同年三月二八日まで吉野工業株式会社に勤務し、昭和四一年一〇月八日有限会社太陽工業に勤務したことは〔証拠略〕を綜合すれば容易に認められるところである。従つて、原告の休業期間は前示入院期間のほか昭和三九年一〇月二三日から同年一二月一八日までと昭和四一年八月一九日から同年一〇月七日までの自宅における療養期間というべきである。原告のその余の点については、〔証拠略〕中の休業日がいつのことであるか、あるいは本件受傷に基くものか、これだけでは明確さを欠き、また原告主張の吉村病院への再入院前の休業についても九州大学医学部附属病院で診察を受けたりしたことが〔証拠略〕から窺えるけれども、そのような事情があつたにしても、右期間のすべてを療養のための休業と見るにはこれだけでは十分でなく、他にこれを認むべき資料はない。そうすると、原告の休業日数は休日を除くと合計二八九日間である。原告が本件事故当時の日給が金一、〇〇〇円であること前認定のとおりであり、このことはまた〔証拠略〕によつても十分裏付けられるところである。原告が労災保険から休業補償金一二六、九九〇円の給付を受けたことは原告の自陳するところであるから、これを控除すると、その残額は金一六二、〇一〇円になる。
(五) 診断書作成費用
原告は診断書作成費用として七通分を主張する。たしかに、何通かの診断書を必要とすることは十分推察されるが、本件においては全証拠によるも、南川病院で一通〔証拠略〕、吉村病院で三通〔証拠略〕作成されたことしか確認できない(もつとも、右診断書が近い日付で交付を受けたことはその作成日付に徴して明らかであるが、〔証拠略〕によつて本訴あるいは調停の際の必要に迫られて作成されたことを認めることができる)。従つて、この費用金八〇〇円を是認することができる。
(六) 附添費用
原告が入院したこと前認定のとおりであり、〔証拠略〕を綜合すれば、原告の入院中特に手術後は安静を要し附添人の必要があつたこと、吉村病院での手術後二、三週間は原告の母が附き添つたほかは原告の妻田中俊子が附き添つたことを認めることができる。従つて、原告の主張する各入院後三〇日間(原告は昭和三九年六月一二日からと主張するが、入院が同月一三日であること前示のとおり)の附添は必要なものとして十分是認できるところである。そして、原告が近親者に附き添われて、その費用を現実に支出しなくとも、これを原告自身に生じた損害と評価するのが相当である。従つて、附添費は〔証拠略〕をも参酌して一日金七〇〇円が相当と考えるので、その合計は金四二、〇〇〇円になる。
(七) 慰藉料
原告が本件事故によつて精神的苦痛を受けたことは明らかであるから、その慰藉料額について検討する。〔証拠略〕を綜合すると、原告は自己ひとりが本件自動車の荷台に乗つたばかりに川原へ転落した際重傷を負つたこと、しかもその事故が運転して、た被告豆田の過失によるものであつて原告に責めるべき点のないこと、合計して約七ケ月間入院治療を受け、左上腕に手術痕を残し、やや屈伸に異常を残していること、しかし一応症状も固定して現在ではダクト工として稼働し始めていること、入院が長引いたのも骨移植術が原告の場合他の者に比べて円滑な経過を辿らなかつたことを認めることができるので、これら諸事情のほか本件に現われた一切の事情を斟酌したうえ、その慰藉料額は金七〇〇、〇〇〇円を相当と考える。
(八) 弁護士費用
〔証拠略〕によれば、原告が本訴提起について法律扶助協会福岡支部の法律扶助によつて福岡県弁護士会所属弁護士野中英朗に本訴を委任し、同弁護士に支払うべき手数料金二五、〇〇〇円と訴訟費用、実費金二〇、〇〇〇円を立て替えて貰つたこと、謝金として勝訴額の一割五分以内で同協会の認定した報酬額を支払う旨約したことを認めることができる。ところで、右のうち訴訟費用は本訴において負担が決り結局費用額の確定によつて処理さるべきものであるから、これを本訴において重ねて請求することはできないものというべきである。従つて、これを除外して右手数料と本訴の認容額とを考慮したうえ、本訴において原告の損害として評価できるのは金一〇〇、〇〇〇円が相当であると考える。
(九) 被告山下において原告に金一〇八、〇〇〇円を支払つたことは原告の認めるところであるから、これを原告の右損害から控除することになる。
七、以上のとおり被告豆田、同山下は原告に対し各自金八九九、八五〇円とこのうち金七九九、八五〇円に対する不法行為の後たる昭和三九年六月一三日以降、うち金一〇〇、〇〇〇円に対する判決言渡の翌日たること記録上明らかな昭和四四年七月三一日以降各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告の本訴請求は右の限度で理由があるから正当として認容し、その余は失当として棄却を免れない。よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用し、仮執行免脱宣言はこれを附さないこととし、主文のとおり判決する。
(裁判官 富田郁郎)